窓ぎわのトットちゃん

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)

  • 上映日:2023年12月08日
  • 製作国:日本
  • 上映時間:114分
  • ジャンル:アニメ
  • 配給:東宝

あらすじ

落ち着きがないことを理由に、小学校を退学になってしまったトットちゃん。新しく通うことになったトモエ学園の校長先生は、 出会ったばかりのトットちゃんに優しく語りかけた。「君は、ほんとうは、いい子なんだよ。」トットちゃんの元気いっぱい、すべてが初めてだらけの日々が始まるー

Filmarks-映画情報- https://filmarks.com/movies/108854

日本に生まれながら原作未読でここまで生きてしまったまめちちですけども、せっかく見やすい長編アニメになってるし、ここを逃したらホントに死ぬまで触れずに行くかも知らんよな、というほぼ危機感のような思いで観てきました「窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)」!

ひとこと感想

黒柳徹子さんが戦時を乗り越え今も存命であるという最大のネタバレを抱えている作品ですが、戦時である危険性以前に、落ち着きのなさを通り越したあのバイタリティの子供が、よくぞここまで無事に生きのびたなという部分に、まずもう泣けてしまいました。いや、観といてよかった。めっちゃいい映画、面白かったぁー…!

以下ネタバレ含むよ。

ネタバレ含むフタコト感想

そう、反戦のオハナシではあるんだけど、戦争自体の具体的な絵があるわけではないことがすごくって。

なぜ食べ物の歌を歌うだけで見知らぬ大人に怒られなければならないのか、なぜ改札のおじさんは桜が散る季節を境にいなくなってしまったのか、なぜある日から突然ママのことをお母様と呼ばなければならないのか、パパのバイオリンはなぜ軍歌を紡げないのか、今まで違和感としてしか感じられなかった世界のゆがみが、大切な人はいつでもどんな時でも突然自分のそばから失われてしまうってことを実感した瞬間にはじめて、走り出したトットちゃんの目の中に一気に飛び込んでくるあのシーンがもうとにかくめちゃめちゃ胸にキました。国と国が争うとか、大きな爆弾が落ちるとか、戦争が命を奪うことを描くのではなくて、子供が子供として、人が人として生き遂げられない世界が、世界がひっくり返っていく姿こそが戦争なんだということを、「子供の目」を通して描く、胸を襲う映画でしたね。

それにしても、ポスターにあった「君のこと忘れないよ」で、想像はついてたから相当身構えて観てはいましたけど、トットちゃんじゃなく泰明ちゃんのセリフだったのが、もうまめちちの涙腺にダイレクトアタックでまったく耐えられずダメでした。自由が丘の駅で泰明ちゃんが放った言葉が電車の音でかき消されてトットちゃんに届かなかった、あのシーンと重なって、ひっさしぶりに映画館で「ウグゥッ」と嗚咽を漏らしてしまいましたぁ…。でもほかのお客さんも多くの方が鼻をすすっていましたよぅ…。

子供たちが他校の生徒と暴力を封じて歌で相対するところとかたまんなかったですね。まめちちも窓際であんなの見ちゃったら膝から崩れ落ちておいおい泣いてしまうよ、肩を震わすだけで絶えた小林先生はすげぇと思いました。でもきっとあのシーンで小林先生の教えのすべてが昇華された瞬間でもあったんだろうなと思ったら、もう追い打ちかけて涙が。

焼夷弾に燃やされた校舎の炎を瞳に宿し、画面が暗転したのちも目が燃え続けていた演出に「あああっ!センセェがダークサイドに…!?」と、正直なりましたが、その少し前のシーンで軍艦の張り紙を破り捨てた描写からしても、あんなにやさしい先生でもその胸の内の怒りや憎しみは途方もないものだった事が伺えたし、でもその怒りは「誰か」に向けるものではなく、弱者のための教育こそがカウンターになると信じていたんだろうな、と、「次はどんな学校を…」と語った言葉はもう信念というよりも怨念だったのかもだなぁと、あの目の中の炎を思い出しては、エンドロール中めちゃくちゃ泣けてしまいました。

終始映画は子供の目線で見た戦時の世界ではあったのだけど、その中で大人たちがどうやってトットちゃんをはじめとするマイノリティな子供たちを支えてくれていたのかを、感謝と尊敬を込めて丁寧に描かれていて、とても心打たれましたです。

外では今も争いが絶えず、内でもキナ臭い話が絶えない平和な時代を生きています。「反対するばかりで具体案がない」ってよく非難されがちだけど、ああやっていつの間にか争いに巻き込まれていく様をみてると「何が何でも嫌だ」っていう意思表示は、やっぱ大切なのかもしれんよな、と思いました。


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